八重樫博士によるフィールドワーク 毛越エリア編

3月25日(土) 八重樫博士による平泉毛越エリア石像仏探訪のフィールドワークがありました。参加希望者は1時半までに毛越寺駐車場に集合です。いつものように参加料は無料です。簡単なレクチャーがあった後、いよいよ毛越エリアに向けて出発です。

この日はFM岩手のアナウンサーが取材に来ており、移動の合間を縫って参加者に何やらインタビューのようです。

公葬地に沿って流れる照井堰のそば道をひたすら歩きます。

何か陥没したような場所が現れました。なんとここが今から900年も前に藤原氏が経典を奉っていた西明寺洞東という場所なのだとか。教えられなければ、単なるがけが崩れたあとくらいにしか見えません。

この中にありがたいお経が納められ、また洞窟内の岩面には鶏の雌雄が刻印されていたといいます。

一行は次のエリア、大乗院墓地にむかいます。

毛越寺貫主藤里家の墓、大乗院墓地につきました。ここには12世紀の平泉型小型宝塔や五輪塔が多数残されています。特に珍しいのが小さな墓がきれいに並べられた墓石群です。むかしは今のような大きな墓石は使わなかったとの事。900年も前のその痕跡が今に伝えられています。

「この時代の五輪塔は上からの 空 風 火 の部分が、今のように離れていない一体型だったのです」と熱く語る八重樫博士。因みに五輪塔は、上から「空・風・火・水・地」で構成されています。

参加者が、平泉方小型宝塔をまじまじと眺めていました。何やら感慨にふける過去の思い出があったからとの事。

墓石の刻印は歳月による風雪ですっかり当時の形を失っています。

つぎにやってきたのが北野天神社経塚への登り口

さあ、この階段を登っていきます。

いい年齢の参加者にとっては、なかなかしんどい登りです。

やっと到着。八重樫博士が代表して天神堂にお参りです。

お堂の上に1分ほど登ったところに経塚がありました。ほとんどすべてが盗掘されていまは痕跡が残されているばかりです。

かつて、この場所に多くの経典が納められていたのですね。今はまさに「いにしえの 栄華の果ての 夢の跡」といった風情です。

天神社を後に次の目的地に向かう一行です。

ここ平泉の毛越エリアはひと昔前の、のどかな山里の景色が眺められる平泉でもまた格別なエリアです。

照井堰に沿って歩く参加者たち。

登り下がりの多い行程です。

次にやってきたのが、南洞さんのお宅 寿徳院にある五輪塔です。「ここの五輪塔も 空 風 火 が一体となっているのです。

学術的にも大変珍しいモノなんですよ」と、語る八重樫博士。東北大学大学院における博士論文にもまとめられた内容だけに、自らのフィールドワークの思い出を胸に、熱く語る八重樫博士でした。

八重樫博士「いい顔してますよね・・・(熱 熱 熱)」  参加者「そうなのかなぁ・・・ わからないけどすごいものなんだろうな・・・きっと」

どんどんテンションが上がり、ひとり先頭を切る八重樫博士。後に続く参加者を振り切り独走中です。

ここは伊豆権現堂 石仏と五輪塔 これも12世紀の作といわれる

子供を抱えた観音様の像か

ものすごい急な石段を慎重に下りていきます。

さあ、やっと降りてきました。伊豆権現様のご利益がいただけますように・・・

南洞さんのお宅の、立派な表門 風雅な佇まいです。

梅の花の中を次の目的地に向かう参加者

ここが本日最後の目的にである龍玉寺 高橋家の墓地に存在する12世紀の五輪塔です。 高橋家によるとここに墓地を造った時に、既にこの場所に存在した五輪塔を高橋家代々の方々が大切にお祀りしてきたのだといいます。現代の墓石のそばにたたずむ12世紀の五輪塔は、それはそれは趣のある見事な佇まいでした。高橋家はこの五輪塔にも庇護されているのかもしれません。南無阿弥陀仏

貴重の体験をした参加者たちは、珍しい五輪塔の由来に思いを馳せて、敬虔なひと時を過ごしていました。本日は皆さん本当にご苦労様でした。八重樫博士、いつもながらに熱のこもった熱い講義に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。