達谷窟(たっこくいわや)毘沙門堂の鬼儺會(おにばらえ)
正月二日の真夜中、達谷窟毘沙門堂の鬼儺會に行ってきました。達谷窟は征夷大將軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)により、およそ1,200年前の延暦廿年に創建された霊廟です。時を経てその後、源義経、兄の源頼朝も、大将軍の由緒ある古跡として訪れています。その縁記は『吾妻鑑』にも、文治五年(一一八九年)九月二十八日の条として記されています。遙か数百年も昔から毎年正月二日の夜、岩を穿って造られた毘沙門堂の中において、鬼儺會(おにばらえ)の神事が法要されてきました。その神事が終わったのちに、年初の神楽が諸仏の前で奉納されるのです。この日は氷点下3度の極寒の中、儀式は厳かに始まりました。
三つ目の鳥居をくぐると、いよいよ毘沙門堂が見えてきます。
毘沙門堂の中で行われる神事法要は非公開の為、訪れた人々は神事の終了を外で待ちます。
松明を持った神官たちが毘沙門堂の縁にでてくると、赤々と燃え上がる松明の火を階(きざはし)に叩きつけ、鬼儺會(おにばらえ)最後の神事を執り行なっていきます。その所作はまるで東大寺の二月堂で執り行われるお水取りの儀式にも似ています。
神事の最後に毘沙門堂舞台の上から、焼いた一升餅が地上に向かって投げ落とされます。本来はその餅を勇猛な若い下帯姿の男衆が奪い合う「裸参り」という儀式が行われるのですが、この三年コロナの関係で取りやめとなっています。残念ながら今年も、男衆のいない静かな鬼儺會(おにばらえ)神事となりました。
鬼儺會(おにばらえ)の儀式が終わると毘沙門堂の中にある諸仏の前で、いよいよ鳥舞の神楽が地元在郷の人々により奉納されます。
勇壮な太鼓の音が、堂内にこだまします。
舞いの動きが少しずつ激しくなっていきます。
神楽の謡も、男衆の舞いをどんどん盛り上げていきます。
女性たちが打ち鳴らす鉦の音が、神前で舞う男衆を勢いをつけていきます。
盛り上がっていた舞いが、静かに少しずつ緩慢な動きに変わっていきます。
最後に諸仏に、今年一年の安穏を祈念して終わります。
この神楽は、窟(いわや)のそばに住む照井家の人々により永年にわたり護り受け継がれてきました。今回も凛々しく神楽を仕切った照井家のみなさん。
遙かな昔から伝わる神事と神楽、本当に素晴らしい儀式でした。最後には本日の神事で祈願されたお札と、鬼儺會の鬼児(おにばらえのおにご)の持物(じぶつ)といわれる手拭いまで頂戴しました。ありがとうございます。
日付の変わる極寒の真夜中、神事を執り行った達谷西光寺住職と神官の方々、そして見事な神楽を奉納されたみなさん、本当にお疲れさまでした。