あじさい

子供のころの、あじさいについての記憶があまりありません。梅雨の中頃に「どっと」咲いて、梅雨が終わると同時にだらだらと枯れていく。だからでしょうか、子供時分にあじさいに興味をひかれたという記憶がないのです。好奇心の塊で毎日楽しいことを探していたような、そんな子供の私にとってすら、なにか大味(おおあじ)な感じのするあじさいは関心の外にあった花だったのだと思います。

あじさいが特別なものとして私の前に現れたのはいつの頃からだったでしょうか。花の鑑賞どころではないあわただしい毎日をすごしていた20代から30代。そして40代の中ごろを過ぎ、人生の中でやっと仕事が「ひと区切り」ついた40代も終わりのころ、足しげく鎌倉に通うようになった頃だったような気がします。東慶寺から源氏山を越え、葛原岡から長谷の大仏に抜ける山道で見たあじさい、ふかい緑でおおわれた荘厳な明月院の参道に群生するあじさい。梅雨に濡れてしっとりと佇む味わいのある青紫色の花々に、何とも言えない不思議な感動を覚えたことを今でも忘れません。

子供の頃はとても好きにはなれなかったけれど、人生の年輪を重ねれば重ねるほど、その奥深さが良くわかるようになる。そういう意味では、私にとってあじさいという花は、たとえればコーヒーの深い味わいのようなものではないかという気がします。

武蔵野中央公園のあじさい
谷根千のあじさい